ぼろぼろの点数を取り、数学に至っては赤点を取りながらも、なんとか高校生活最初の中間試験を乗り越えた。
 日本史のノートは今、新しくまっさらのものを出してもらって使っている。試験が終わってまた授業が始まる頃には、ノート提出なんて冗談じゃないほどの量の文字が数ページを埋め尽くしていたからだ。
 結局誰かにノートのコピーを頼むことはなく、解答用紙の白さをごまかすため、俺の答案の空欄は笑いのみを追求した文章で真っ黒になった。答案返却の時の教師の顔がやや歪んでいたが、友人からの受けは良かったので満足だ。
 六月に入り、規定の制服は長袖から半袖へ変わった。と言っても肘を出した奴は五月のうちからちらほら見かけていたので、特に目新しさは無い。余談だが俺の生徒手帳の制服規定の項にある男女イラストは、当然のごとく原型をとどめていない。
 俺の場合はそれと共に鞄も変わった。最初は学校指定の小さなやつだったが、部活に入って日々の荷物も多くなったからには、そんなお上品な鞄じゃ事足りないのだ。まだ一年生は体育館シューズで基礎体力作りが中心だが、そのうちちゃんとバッシュを履いてのゲームが出来るようになるだろう。
 新しくなった俺の鞄に、古い日本史のノートは入っていない。
 持ってくればきっと見てしまうし書いてしまう。ぱっと見ただけでは奇妙な日記くらいにしか見えないだろうが、爽やかな高校生活を目指す身としては正直嬉しくない。
 いや、それだけなら俺の甘酸っぱい青春で済ませられるが、弟が文字を書いている、ちょうどその時を目撃されるのが厄介なのだ。何も無いところからインクが浮き出てくるのを見て、最近のノートはハイテクなのねで済ませる奴は居やしない。
 部活でくたくたになって帰宅しても、今日あったことや両親の様子を記す時間くらいある。
このノートは、届かないものに手を伸ばしてやっと触れた爪先のようなものだった。弟とのささやかな会話を続けていくためには、学校に行っている間の沈黙など我慢できて当然のことだったのだ。
 最初のページにプリントを挟んだだけで、授業の内容など十ページほどしか書かれていなかった俺のノートは、時を経ずしてみるみる埋まり始め、表紙の上に次から次へと真っ黒なページを積み上げていった。
 どこかへ向かっているようだというのは弟が書いた文だったが、一向にそのどこかへ辿り着いた気配は無く、昨日も今日も弟からの返事は白紙を着実に埋め続けていた。
 俺も時々は、弟が死んでもうどこにもいないということを忘れていたのだろう。だって弟はそこにいるのだ。見えはしないし向こうからもこちらが見えないらしいが、こうやって意志の疎通は出来ている。
 少し遠い寮に入ったと思えばいいのだ。いや、そもそも弟はどこかで生きているのではないか。
 そしてその度に自分で結論を出した。弟がいるのは遠いどころか、一生出ることの出来ない寮だ。生きている奴がどうやって、こんな方法でノートに文字を書けるんだ。
 俺は弟の骨を拾ったじゃないか。最後に喉仏が壷に納められるのを、この目で見たじゃないか。
 死ぬとはどういうことなのか考えることがあった。体が生命活動を停止すること、命がなくなること、心臓が止まること……違う。
 そういうものではなく、死という概念の意味するものを知りたかった。弟の心臓は止まったし、それに付属していた体は焼かれて、壷に納まるほどの小さな骨しか残っていない。
 では弟は死んだと言えるのか。毎日ノートに汚い字で返事を書く弟が、本当に死んだと言えるのか。こんなノートが無くたって奴は、記憶の中ではいつも笑っているし生きているのだ。それは生と呼べるものではないのか。
 しかし俺がどんなに理屈をこねくり回してみたって、弟の死という事実が変えられるわけではなかった。弟はこの世界のどこにも生きていない、だって死んだのだから。
 精神とか肉体とか魂とか、そういう宗教っぽいことは分からないが、体を無くした心が生きていられるとは思えなかった。体と心が揃って命なのだ。
 それでもノートに書かれる文字や言葉は日々新しく、弟をますます死の匂いから遠ざけていった。





 俺の部屋のある二階から見える庭は段々とにぎやかになって、夏の近付いてくるのが手に取るように分かった。去年は、六月の終わり頃だったか、向日葵の早いやつが一輪ぽつんと咲いた頃に梅雨が来た。今年はそれよりも早く梅雨が来るらしいから、あのじめじめした空気もそろそろだろう。
 母さんがパンの消費期限をやたら気にする時期、カビの生えそうなもので冷蔵庫がいっぱいになる季節だ。
 向日葵は今年もよく育っていた。去年の夏から俺の机は、部屋の扉と向かい合った壁に寄せてある。その壁には小さな窓があって、暗い青色のカーテンが付いている。母さんが格安で買ってきた布に、思いつきでレースを縫い付けたものだ。
レースカーテンと遮光カーテンを混同していたのだろうが、そのせいで恐ろしく馴染まず、友人を呼ぶ時はあらかじめ外しておく必要がある。
 椅子に膝をついて窓の下をのぞくと、向日葵も朝顔も俺めがけて伸びてくるように見える。どちらも上から見ると、綺麗に葉が広がって見える。うまく互い違いに付くようになっているからだ。どんなに大人しく黙っていても、奴らはしっかり生きているのだと感じる。観察日記が宿題だった小学生の頃には絶対に気付かなかったことだ。
 少し乗り出して右側を見ると、昨夏蝉だらけだった樹が半分家の壁に隠れて見えた。そのせいで影になった部分の白壁が緑に染まったように見える。
 その向こうに夕焼けが黄色く輝いて見えた。葉の端が線状に光っている。視線を上にずらすとオレンジ色に変わり、さらにそれを囲むように赤い空が広がっていて、薄暗い青の雲が細長く横に伸びている。
 視線を樹に戻すと、光を見つめていたせいかさっきより暗く沈んで見えた。
 窓から離れて椅子に座り直し、ボールペンを持つ。机の上に広げてあるのはもちろん、弟と会話しているノートだ。
 今見えた景色や庭のことを書こうと思ったが、文の出だしを考え、すぐにペンをノートの横に置いた。
俺の汚い文字による下手な文章で正確に伝えることなんて出来ないのだ、写真を送れるわけでもないのだから。音や映像という手段が無いからには、何をした、何があったという事実しか書けないし、伝わらない。
 もう一度窓の外を眺めるが、今度はさっきほど美しくは見えず、色だか何だかが決定的に褪せてしまった後のように思えた。
 それは伝えようとする心だったのかもしれない。頭を振る。
 ペンを持ち直した。

 ――母さんが今年も張り切ってるから、ヒマワリもアサガオもよく育ってる。
 ――あとどんくらいで咲きそう?
 ――まだまだ、つぼみも無いもん。七月終わりからお前の誕生日にかけては満開なんじゃないか。
 ――たん生日か。次は、えっと、十四か。ってことは兄ちゃん今年、十六?

 一瞬、喉のところで息が詰まった。弟は今、来る自分の誕生日のことを語っているのだ。
 それでいいのか。弟が生きているような錯覚をしたのは俺だし、このノートの中だけでも生きていつまでも会話を交わせれば、そんなに良いことはない。
 でもそれでいいのか。
 弟は去年、誕生日を迎える前に歩みを止めたのだ、永遠に十二歳のままで。いつの間に誕生日を迎えた、どうしてまた誕生日を迎える気でいる。
 ノートに書くには厳しすぎる感情だった。弟の生を錯覚する自分を戒めるため、という要素が大きかったのだと思う。そう思いたい。
 弟の字はまだ続いている。

 ――そうだ、もし咲いたら花とか葉とかページにはさんでよ。こっちでも何か見えるかもしんないじゃん。
 ――分かった。明日は朝練あるからこれで。ごめん。

 手早くそれだけ書いてノートを閉じた。しばらく右親指の爪に入った白い傷を眺めて、体育の時間に指を打ったことをぼんやりと思い出す。
はっと、その指がペンを持ったままなのに気付いてそれを置いた。少ししてキャップを付けていないのに気付き、どこへ消えたのかと探す。
 弟が生きていることを勝手に望んだのは俺だ。なのに今、生に近い所から語る弟を咎めるなんてどうかしている。
 机の下に落ちていたキャップを拾おうとして頭を打った。その途端、色んな悔しさが溢れて顔を歪めたが、今は何に当たり散らすことも、泣くことすら腹立たしかった。





 梅雨に入って期末試験の日取りが発表された。ついさっき中間試験が終わったばかりだという感じは拭えないが、あれから確かにひと月が経っていた。
 雨は毎日しとしとと降り続き、パンどころか自分の体までもが水分を吸って生温く溶けていくような感覚に襲われた。湿度が高く、ひどく蒸し暑い。
 体育の後の教室は、男子の汗と女子の制汗剤の混じったひどい匂いがした。肌からわずかに蒸発した汗が自分の周りにとどまって、じわじわと自分を蒸す。近い時間に弁当の時間があったりしたら、教室そのものが巨大な凶器空間へと変貌を遂げるのだ。
 朝から土砂降りに遭った日なんて、ちゃんと傘をさしていたにも関わらず鞄の中の教科書がじっとりと湿っていることもあった。
 友人には、びしょ濡れになったのを放置した結果、カビの生えた教科書を持っている強者もいた。そいつはその日だけはクラス一番の英雄だった。
 家に置いてある俺のノートも、心もちふやけているような感じがあった。と言ってもペンで書く分には支障は無いのだが。
 弟の傍にあるというノートもふやけているのだろうか。弟のいる場所は蒸し暑かったりしないのか。
 ノートを立てて天の部分を見る。勝手に開いてしまう、つまり字で埋まっているページはもう半分を超えた。このノートの残り枚数は確実に少なくなり、見返し部分を見る日が近付いていた。
 残りはあと何ページなのだろう。それを数えるのが恐ろしかった。
「ノート、一冊くれる?」
「またぁ? あんた、この前だって日本史のノートが無くなったって言ってたじゃない」
「どうして、学問に目覚めた息子を素直に喜べないかなぁ」
「どこまで本当なのかしらね」
 何日か前だ。疑いの目を向ける母さんをどうにか説得して、もう一冊のまっさらなノートを出してもらい、それに弟への文を書いたことがあった。しかしその続きに弟からの文が書き込まれることは無く、そんなものが書き込まれたことすら知らない様子だった。
 最初に弟へ繋がる道が出来た時のように、思い出を浮かべながら弟の名を書いたこともあった。しかし何の効果も無く、真っ黒に染められたページばかりが続く古い日本史ノートは、今日も一行ずつ埋まっていくのだった。
 奇跡はそう何度も起こらないのだ。ただ純粋に逢いたいと思っていた昔と、応答を期待している今との間には大きな違いがある。
 弟に、ノートの残り枚数のことを告げようかと思うこともあった。
しかしそんなことを書けば、今から終わりまでの全ての会話はつまらないものへと変わってしまうだろう。必要最低限に絞られた会話ほど味気のないものは無い。
必要だの何だのと考えるほど滑稽になる、消えた弟に伝えるべきことを考えるなんて。何気ない会話こそ、今の俺たちにとって価値のあるものだった。
 まだだ、まだ白紙のページには厚みと呼べるだけの量がある。まだ何を言ってもいけない。

 ――今度こそはいい点取んないと、母さんがカンカンになるぞ。
 ――別にお前に言われなくてもやってるよ。
 ――高校は、サボってばっかりいると、もっかいやり直しなんだろ?
 ――そうだよ。だからやってるって!
 ――ま、がんばんなよ。強いクワガタの育て方とかなら教えてやるから。
 ――うるせえ、そんなのおれだって知ってる。昔おれらで一緒に育てたんじゃん。

 弟はあくまで無邪気で、あくまで俺の弟だった。
 やがて七月に入り、試験一週間前になって部活は無くなり、自習として実質的な授業内容の無くなる教科が増えてきた。
 梅雨明けと夏休みがすぐそこまで来ていた。