詩歌、紫苑、共に十六歳。男。
 外見の特徴も顔の造りも、体格も声も全く同じ双子だ。詩歌が兄ちゃんだけど、区別なんて全くつかないってみんな言う。俺らには分かるのに。
 身長も体重も、茶金の髪も眼も、そのまま移し替えたように同じなんだ。まるで鏡だ。
 でも中身は違うと言われる。詩歌は落ち着いていて思慮深い、まるで先が見えているようだって。そしてその後には決まって、「それに比べると紫苑はねぇ」。そんだけ言われりゃ、落ち着いてて思慮深い俺でも怒るってもんだ。
「でも、みんなには感謝すべきだよ?」
 分かってるさ。どーせ俺ら、親いないもんな。その親だって、この村の人間じゃないっていうしさ。見てくれよこの変な色の髪。夜に光るとか何事だよ。
「俺だってそうだよ」
 ガキの頃からお世話になりましたよ、いや本当に。
「こら紫苑。お前、婆ちゃんがここにいてみろ、どんだけ怒られるか」
 婆ちゃん、な。うん。……詩歌はずるいよな。
「どうしてさ」
 だって里子に出されたんだろ、街の方にさ。いいよな、俺も一度でいいから街なんて行ってみたいよ。なんか面白い所がいっぱいあるんだろ? 半年前に来た旅芸師に聞かせてもらった。それに比べて、婆ちゃんの厳しいこと厳しいこと。叩かれた跡なんて三日経っても消えないんだぜ。
「でも死んじゃったときは悲しかっただろ。確か、九つの時かな」
 いや、十歳。うーん、確かに悲しかったし苦しかった。泣きそうだったよ。でも、その後すぐに詩歌が帰ってきてくれただろ。実は救われたんだぜ。うわっ、恥ずかしっ。
「はは。びっくりしなかったか、いきなり自分と同じ顔の奴が現れて」
 婆ちゃんに聞いてたからさ。街へ行っただの、色々。なぁ詩歌、街って本当に面白いのか?
「さぁ、どうだろうな?」
 ちゃんと答えろよ、住んでたくせに。何度も言うけどなぁ、俺なんか行ったこともないんだぜ? 行ってみたいよ。街に……いや、世界を冒険したい。
「冒険? 下の国とか、そんな感じ?」
 何だよ、それただの作り話じゃん。魔物うろつく別世界、太陽の無い暗闇の世界。いくら俺でも信じやしないさ……って、こんなことが聞きたかったんじゃないぞ。
「街のことなんて覚えてないよ。子供の頃だし、六年間行ってないんだから」
 そっか。しかし、帰ってきて早々崖に落ちるかぁ? 無事だったから良かったけどさ。本当ドジだよな。
「それは言わない約束だろ。それより紫苑。お前明日、森に行くのか」
 そうだけど。何、またお得意の予知?
「いや、だから予知とかそういうのじゃ」
 じゃあ何だよ。何か取ってきてほしい物でもあるのか。
「いいや、大丈夫だよ。気にしなくていい」
 分かった。街の彼女が家に来るから、帰ってきてほしくないんだ。六年ぶりの再会だろ。紫苑くん大正解!
「だから、……もういいよ。第一俺、彼女なんていないしさ」
 嘘だろ。俺にも誰か紹介してもらおうと思ってたのに。これだから詩歌は困るよ。真面目すぎてさ。
「俺は真面目なんかじゃないさ。お前と同じだよ」
 同じなんて見てくれだけだろ。
「違うよ」
 その顔がますます真面目で、俺は笑ってしまった。
「俺はお前と同じだ」――





「…………」
 わずかに呆然としたのち、チッと舌打ちする。確かに俺たちは同じだった。
 なんと俺までもが、崖の下から漂う妙な煙に気を引かれて落ちてしまったのだ。起き上がろうとするも、体が言うことをきかない。まるで毒が回ったかのようだ。
 遥か上に見える地上。木々の間から見える空はやけに薄暗い。
 さっきはあんなに晴れていたのにと不思議に思う。そんなに長いこと気絶していたのか。
 雨が降らないといいのだが。
「詩歌、聞こえるかー? 聞こえてないよなー。大切な紫苑くんがとんでもないことになってるよー」
 口の中で呟いて砂利を吐き出した。大きく息をする。
 昨日からかったネタを自分がやらかしてしまうとは。情けなさに目をつむる。
 とりあえずは体中が痛くて動かない。笑われるのを覚悟で詩歌を呼ぶしかない。
 すぅ、と息を吸い込む。腹にたまった空気を吐き出した。
「しぃ……」
 しかし、声は止まった。
 心臓だって止まるかと思った。眼を見開いたまま、見えるのは暗い空ばかりだ。もう一度小さく声を出してみる。
「あ・い・う……」
 手を伸ばし喉を押さえる。傷は無い。痛みも無い。耳もおかしくないはずだ。
 木々が揺れる。ざわめきを吐き出して、周りの森全部が警告を発しているように感じた。少し冷たい風が耳を冷やしていく。かざした手は傷だらけだ。
 紫苑くん、大ピーンチ。心の中だけでもおちゃらけてみる。
 その声は、まぎれもない女のものだったのだ。裏声でもないし、喉を怪我したんでもない。
 自分の口に合わせて誰かが喋っているような気持ち悪さがあった。いっそ、そう思いたかった。
 ふと、あることに気付いて頭を持ち上げてみる。すぐに戻す。
「紫苑ちゃん、ばっちり胸あるよ。これで詩歌にもモテモテだね。やったぁ……」
 大きく息をついた。さっきまでより更に胸が重くなった気がする。気が付けば首もくすぐったい。髪まで長く伸びているようだ。
 夢だ。そうだ、時々妙にリアルな夢を見るだろう。夢だと分かっている夢を見たりするだろう。きっとあれだ。
 これは全て夢である、そう結論付けた。そうするしかなかった。もう一度眠るんだ。
 眼を閉じた。眠気はしっかりやって来る。ごちゃごちゃした考えが流れるように消えていく。……

 ――目が覚めた。やっぱり木々の間からは暗い空。
 夢は夢のままかと思ったとき、俺の手が勝手に動いた。しかし動かしているという感じも、わずかな疲労感も無かった。
 口までもが勝手に動き、妙な言葉を喋り始めた。聞いたこともない、しかし意味だけは頭に流れ込んでくる。
「落ちちゃったの? あー、もぉやだぁ」
 何か思うよりも早く、女が声を張り上げた。谷いっぱいに広がる、聞き馴れない女声。
「誰かぁー!」
 口を塞ごうとした――できなかった。手が動かなかった。
 さっきのが夢だとすると今度のは何だ、夢の中でまた夢を見ているとでもいうのか。
「ねぇ、誰かいないのぉー!?」
 違う、夢じゃない。体ではなく、俺自身の心が、どっと重くなった。
「ウィルー? ウィルどこー!?」
 しばらくすると、答えるように声がした。やっぱりこの女と同じ変な言葉だ。しかしそれでも意味だけは理解できる。
「レミアーッ。どこだー!」
 声からすると男のようだ。会話からするとウィルとはこいつの名前か。しかし間違いなく、聞いた覚えのない声ではある。
 それ以前に、こんな妙な名前の奴は俺の村にはいなかった。
「ここ、崖に落ちちゃったのーッ」
 女の声が答える。するとレミアというのはこの女の名前か。
 またしばらくすると、木々より手前にひょいと顔が出てきた。年は二十ほどか、肩幅があり逞しい印象のある男だ。深緑の髪は俺や詩歌のものより色濃く、夜空に輝いている。
「ったく。ちょっと待ってろ、みんなを呼んでくる」
 その光は、すぐにどこかへ行ってしまった。不安そうにぐるぐると表情を変化させる女の内側で、静かに思い出す。
 今の奴、ウィルとかいう変な男の髪はちらちら輝いていた。俺や詩歌と同じだ。
 一つの仮説が立った。ここは街だ、街の人間の髪は、光に照らされてばっかりだから光るんだ。
 根拠など一つも無い仮説はすぐに崩れた。



「本当にドジねぇ、あんたは」
 おばさんが笑う。温められた料理の優しい匂い。
「だって、足が滑っちゃったんだから仕方ないじゃない」
 俺、もといレミアが答える。和やかな夕食の風景だ。
「まあ、無事だったから良かったけどねぇ」
 おばさんは笑って台所へ戻っていく。
 レミアが足を見る。俺の眼にも足の映像が入ってくる。包帯だらけの足には黄色い薬がついてて、どうにも気味が悪い。
 とりあえず今分かったことは、まずここは街じゃないということ。残念だけど。
 そして、俺はレミアという名の女のようだ。女の特徴に相応しく、視点が低い。髪も長くしてるらしい。ちなみに色は俺とは違う赤茶、おばさんも赤茶だ。胸だってしっかり重い。
 年は俺と同じくらいか、ちょっと上か。
 このおばさんは、この女の母さんらしい。父親は見ない。いないのかもしれない。さっきのウィルっていう男は……分からない。友達か、恋人かもしれない。
「何にしろ、早く良くならなきゃね。ほら食べなさい」
 おばさんが見たこともない果物を持ってきた。赤い皮をむいてレミアがかぶりつく。味は悪くなかった。
 ……羨ましい限りだ。レミア。心配してくれる親もいるし、年の近い友達か恋人もいる。
 やっぱり夢だろうか、俺が望んでること全部が叶うなんて。女になりたいなんて、そんな劇的な願いを描いたことは無いけれど。
「こんなんで、ちゃんとウィルの奥さんとしてやっていけるの? 結婚してから崖に落ちてばっかりじゃ困るわよ」
 今、何か恐ろしいことを告げられた気がした。待て、頼むから待ってくれ。
「もぉ、ちゃんとやっていけるってば」
「本当? じゃ安心していいのかしら」
 安心するんじゃない、結婚って何だ。俺はそんなこと聞いてない。
「その話はもうやめようよ。それよりさ、また聞かせてよ、父さんと母さんの話」
 話をそらすんじゃない。叫んだのに、レミアには何も届いていなかった。俺がここにいることにも気付いていない様子だった。
 泣きたくなってきた。本気で泣きそうだ。レミアは笑っているが。
「父さんもねぇ、崖に落ちてたのよ。それを見付けたのが母さん」
「父さんって、ここの村の人じゃなかったんでしょ?」
 訳が分からない。改めて、どうにもならないことに気付いて愕然とする。
「そうよ。前の日が大雨だったから、流されて打ち上げられたのか……父さんは話してくれないんだけどね」
 祈るように詩歌を思い浮かべた。あいつがここにいたら、どう俺を導くだろうか。
「父さんは本当に大怪我してて……必死で介抱してね、治ったときプロポーズしてくれたのよ」
「いいなぁ。ロマンティックじゃない」
「許婚だって、ロマンティックじゃない? それともウィルは嫌いなの?」
「ううん、そうじゃなくって。最初からこの人と結婚するって分かってると、好きも嫌いも無いじゃない? 惰性とでもいうか」
 誰か、俺の体を返してくれ。





 夢にも詩歌の声は聞こえない。
 寝苦しくて目が覚めた。体に巻きついた布団に腹を立てる。
「くそッ」
 足で蹴り上げて起き上がった。頭をかき、もう一度布団へ倒れ込む。
 そして今更に気付く。自由に動けることに。
 何もない天井をながめ、必死で目を動かした。頭の中は空白だ。何をするべきか必死で考える。
 逃げろ。
 どこへとか、ここはどこかとか、全く分からないくせに、でも逃げるしか道は無かった。もう一度起き上がる。足は大丈夫だ、歩ける。
 冷たい床を歩き、扉を開けた。道は分かる。廊下を歩いて階段を一歩一歩降りていく。手すりが付いているのは有難かった。廊下を進み、左に曲がる。進めばすぐに戸のはずだ。
 しかしレミアがさっきいた部屋からは、まだ光が漏れていた。
 咄嗟にここから玄関への距離を目測する。走れば大丈夫だ。鍵はかかっていないみたいだし、すぐに逃げ出して……
 逃げ出して、どこへ?
 改めて疑問が浮かんだ。俺はどこから逃げてどこへ行こうというのか。
 ――知るか。とにかくこの村を出るんだ、考えるのはそれからだ。
 足を踏み出した。足から伝う衝撃にあわせて床が鳴る。先へと必死で足を伸ばす。
「レミア?」
 後ろからおばさんの声がした。戸を押すと、相変わらず暗い空が広がっている。このまま走れば大丈夫だ。
「レミア」
 おばさんにしては低い声がした。簡単には追いつかれない距離があったはずなのに腕を引かれ、気付けば体ごと抱きかかえられていた。
「何してるんだレミア!」
 さっき見た顔。おばさんよりも今の俺よりもずっと背が高い、がっしりとした体躯。ウィルだ。
「悪い夢でも見たのか?」
 おばさんも出てきた。不安げな眼で俺を見ている。ウィルの腕を払った。
「夢じゃねぇんだ」
「レミア」
 もう一度、腕をつかまれる。
「離せ!」
 必死で振り払った。ウィルが俺を見ている。ひどく落ち着かない様子で、ぱちぱちと瞬きをしている。
「俺は……俺はなぁ、お前と結婚するなんてまっぴらだ!」
 俺が喋っていたのはレミアの言葉だった。聞き取れはしないくせに口から出てくるし、意味も分かる。レミアの体がそうさせるのか。
「許婚だと? ふざけんな。誰がお前となぁ」
「レミア、何を言い出すのよ!?」
「おばさん、婚約なんて解消してくれ。頼むから!」
 もしかすると、説明すれば俺のことを分かってくれるんじゃないかと思った。だから「おばさん」に力を込めた。
 しかし二人はレミアの気がふれたとしか思っていないようだった。次は肩に手が置かれた。振り払う。
「レミア。頭でも打ったんじゃないか」
「ああ打ったさ、気が狂ったって思いたいよ! でも無理だ。なんか変なことになってんだよ」
 言っているうちに眼が熱くなってきて、うつむいた。涙腺までおかしくなったのか。
「とにかく落ち着けよ。な、家の中に入って」
「そ、そうよ。ね? 結婚なら延期だってできるわ。だから」
 そうじゃないんだ。
 悪い夢にうなされたんでもない。結婚間近で混乱したんでもない。頭がおかしくなったんでも、気が狂ったんでもない。
 俺がレミアじゃなく紫苑である、ただそれだけなんだ。
「あなた……」
 おばさんの声に顔を上げる。
 家から出てきたのは、布でぐるりと目を覆った奇妙な奴だった。あなたと言うからには、おばさんの夫、レミアの父さんか。……これが父さんか。
「あなた、何でもないんです。レミアが混乱しただけで」
 おじさんはおばさんを素通りし、俺の前で立ち止まった。布に隠された顔が少し傾き、俺からは見えない目で俺を見ているのだと分かる。
「家に入るんだ」
 何故か詩歌を連想させる静かな声で、おじさんはそう言った。だが動いてたまるもんか。
「あんたも思ってるんだろ。レミアはどうかなってしまったんだ、って」
「思えやしないさ。ここで言い争っていても何もならない。それに、せっかく治療した足が傷だらけじゃないか」
 足を見る。裸足のまま飛び出してしまったせいで、草にいくつも引っ掻かれていた。
「足を治してからでも逃げ出せるだろう」
 しばらく顔部分の布を睨んでいたが、あまりに馬鹿馬鹿しく思えてやめた。相手の目が見えないんじゃ、どこを睨んでいいか分からない。
 言葉に引きずられたような感覚でもあった。わずかにうつむき、裸足のまま家へ向かった。
「時の流れるままに」
 おじさんが呟いた。多分俺に。