カン、カン……わずかに高い、軽快な音が聞こえる。聞いているうちに、意識せずして足が同じリズムで動き出す。
 風に乗って、流れるように街中を通りすぎていく音。作業員達の腕から作り出される音。きっとこれは何百年も前にも聞こえていた音、この土地がその音を欲しがっているんだ。
 階段のような客席の一番上に腰掛けて、一番底で忙しく動き回っている人々を眺める。今、舞台は彼らのものだ。ホールの補修は着々と進んでいる。
「レヴィン、来てたの」
 後ろからの声に振り向くと、キャットがこちらを見上げて笑っていた。ふわふわと柔らかそうな髪が揺れている。
「キャットも来たんだ」
「そう。もう日課になってるのよ、ここに来るのって」
 石造りの階段を昇って、こちらへ向かってくるキャット。彼女は今日も長いスカートをまとっている。それとね、と何か言いかけて、キャットの視点がわたしからホールへ移った。きゅっと蒼の目が細まる。
「わぁ、もう完成間近ね。わくわくするなぁ」
 完成というよりは修復だけれど。でも新しく生まれると考えるなら、それはとても素敵なことだ。
「古代の歴史を追体験できるようなものよね。新しいのに古めかしい、不思議な感じ。ねえレヴィン、あたし、きっとここに通いづめになると思うわよ」
 形の良い唇からくすくすと声がもれる。
「羨ましいな、レヴィン。最初にこの舞台に立つんでしょ」
 うなずいた。初めてここで演じられる舞台は、わたしが主役をやることになっていたのだ。そして口を開く。
「それで?」
 気持ちの良い風が街を撫で、彼女の髪とスカートを揺らす。彼女はスカートを押さえて階段に腰をかける。
「え?」
 ワンテンポ遅れて、間の抜けた返事が返ってきた。わたしもその隣に座る。右の肘がキャットの腕に触れた。すべすべした感触になぜか恥ずかしさを覚えて、膝の上で腕を組む。
「さっきの、それとね、の続き」
「ああ……」
 キャットは、目を閉じてうつむいた。口がわずかに笑っている。
「ジェシーが、あたしを好きだって」
 その銀色の髪に目をやった。風が吹くたびにきらきらと揺れる様子はとても美しい。
「母さんもすごく喜んでいて……このホールが完成する頃には、あたしはきっとお嫁さんよ」
 ぱちぱちと短く手を叩いた。右に座る幸せな少女に笑顔を向け、おめでとうと喉の奥から声を作る。キャットは目を開け、首をかしげてちょっと笑った。
「ありがとう。でも次はレヴィンの番よ」
「だから何度も言ってるじゃない。わたしの番なんて来ないってば」
 すると彼女は、まるで自分のことのように顔を歪めるのだ。あるいは私の母のように。
「どうしてそんなことを言うの、伴侶は持つべきよ」
「大丈夫。わたしはキャットほどの寂しがりじゃないから」
「確かに……」
 すっと伸びた長い指が、スカートに隠れた左足を押さえる。そこだけ風が通らずにしわが寄る。
「レヴィンは、一人でも立派に生きていける人だけど」
 わたしは何も言えず、ただ視線を落とす。カンカンと陽気な音だけが耳をくすぐっていく。
 彼女の左足はうまく動かないのだ。といっても先天的なものではない。幼い頃の彼女はとても活発な子で、わたしやジェシー、ダグ達とよく一緒に遊んだ。まだ当時は廃墟だったホールで踊り、未来を夢見た。
 もう三年ほど前になるだろうか、彼女は落馬して足に重い傷を負った。その活動的な性格が災いしたのだ。
 最初、彼女はとても沈んでいた。彼女の母も、刺激を受けるのを恐れて誰も寄り付けようとはしなかった。わたし達が彼女に会えたのは、事故から三か月も後だった。
 歩けないの、と彼女は笑った。痩せて顔色も悪かった。風に揺れていた髪はおとなしく肩にかかっていた。とても綺麗な足なのに、ただ体に備えられているだけ。わたしはそれが悲しかった。
「とにかくね、あたしはレヴィンに幸せになってもらいたいの」
 キャットを見る。彼女はやっぱり笑っている。その笑顔には一点の曇りも無かった。
「ホールでは、ジェシーやダグと一緒に踊るんでしょ?」
 簡単にはうなずけない。廃墟だったホールに集まっていたわたし達。なのに今、その中にキャットの名前は無いのだ。
「よく言ってくれてたわよね。ホールを復元する案が出された頃」
「『最初の舞台は一緒に立とう』?」
「そうそう、それ。ごめんね、やっぱりあたし、無理……」
 彼女はそれでも美しく笑う。熟しきった花がこぼれるように静かに。



 ホールは石造りの建物だ。建物というよりは円形野外劇場といったところだろうか。白みがかった大きな角石ばかりを組み合わせて作られている。
 まず、舞台を囲むように設置された十段くらいの階段を上る。上り終えたら今度は下りだ。やはり舞台を囲むように円形で、中央の円い舞台へ向かってしぼんでいく。そこまではざっと見て三、四十段を降りなければならない。
 今でこそホールと呼べるが、わたし達が子供のころはひどく荒れ果てていた。草木が生い茂り蔦が絡みつき、足を滑らせたり引っかかったりしてよく転んだものだ。
 石だってガタガタだった。しかも街の奥にあったものだから、誰も近寄らないし光さえ届かない。陰鬱という言葉の相応しい、とにかくひどい場所だった。しかしそれゆえに、ここは子供達にとっては一番の遊び場となった。
 朝を待たずに駆け出すと、たいていそこには誰かが隠れていた。わたし達は舞台へ降り、自由に踊り、歌を口ずさみながらみんなが来るのを待ったものだ。酔って帰ってきた父親が頭をぶつけたとか、隣の家で羊の仔が産まれたとか、そんな他愛のない話をしながら。
 この場が復元されて解放されるのは、だから少し寂しい。
 ――もし、そこの蝶姫や、そこで何をか思われる。
 ここはわたし達の遊んだ場所。
 ――語り継がせよ、私めが貴方を永遠に歌わん。
 わたし達が育った場所。
 ――我は元よりここに生まれ、ここを生みて悠久の時を紡ぐ者。其方などには語らせぬ。
 わたし達が出会った場所なのだ……。
 ――暗き中でもよいのです、光を浴びて輝く者よ、我らと共に歌わなん、舞を見せなんその羽根で。
 幼い蝶姫の声が聴こえるのだ。





「ジェシー、来てくれたのね」
 少年は軽くうなずいて扉を完全に開け、止めていた足を先へ進める。声の主を見て眩しそうに目を細めた。
「用って何」
「あらひどい、私の所へは用が無くちゃ来てくれないっていうの。……そんな顔しないで、冗談よ」
 軽やかな笑い声。部屋の奥にはキャットがいる。いつも奥にいる。窓際のベッドの中に足を収めて本を読んでいる。動かなければ誰かいることにも気付かないくらい、部屋は静かで、時の音が似合わない。
 まるで今まで歩いてきた場所と全く空気が変わってしまったようで、扉を閉めるのを少し躊躇する。
「もっとこっちへいらっしゃいよ」
 キャットの言葉に促されるように、後ろ手に扉を閉めて歩を進める。怪我一つ無い真っ白な手が、生き返ったように動いて本を閉じた。
「何の本」
「本じゃないわ」
 それを窓際に置くと、表紙に一輪挿しの細い影がかかる。水を通った部分だけは影の色が薄い。表紙には何も描かれておらず、背表紙は向こう側を向いていて、題名を知るよしは無い。
 窓を通り抜けた日差しは柔らかく、軽やかに散って彼女を光の中に浮かび上がらせていた。



「あ、やっぱりここにいた」
 声で誰だか分かったから振り向かなかった。下から精一杯に腕を振って、こちらへ声を放り投げる。
「降りてこいよ、なぁ」
「あんたが登ってくればいいじゃない」
 ダグの木登り下手は知っているくせに、わたしはこう言ってしまうのだ。少し間があったが、わたしに降りる気が無いのを察したのか、幹をしならせゆっくりとダグが登ってきた。
「やっぱり泣いてる」
 木に引っかかれたままの手で、私の頬をぬぐう。泣いたらいけないのか、それならどうして近寄ってくる。鼻をすすった。
「笑ってよ」
 ダグは短くそれだけ言った。飾りっ気も何もない、なんて不器用な言葉なんだろう。わたしは泣くのをやめて彼を睨む。ダグも睨み返す。沈黙に負けて、やがてどちらかが息をつく。今日はダグが先だった。
「今度は何」
 枝にもたれてこっちを見ている。ダグの体は小さいので枝は折れない。が、バランスが悪いのですぐ落ちそうになる。
「ジェシーとキャットに置いていかれるみたいで不安? 二人がうまくやっていけるか不安? ジェシーがキャットのものになってしまうのが悲し……」
「全部」
 怒ったような声しか出ない。ダグの声が止まった。また涙が落ちて、木登りの好きな私には似合わない傷だらけのスカートに吸い込まれた。
「そっか」
 なんて嫌な奴だろうと自分で思う。二人の行く末への不安と同じくらい、わたしは悲しいのだ。
 結局わたしはジェシーが好きなのだ。今でも好きなのだ。ジェシーはキャットを想っていると知って、それでも好きなのだ。
「レヴィンは悪くないよ。どうしようもないもん」
 ダグが枝から身を起こして背中を叩いてくれる。そしていつものようにバランスを崩し、しっかりと枝を掴む。思わず伸ばした私の手は行き場を無くし、笑いに変わった。
「レヴィン。明日ジェシーの家へ行こう」
 顔を上げると、ダグの幼い笑顔がそこにあった。顔が汚れていて、幹にしっかりとしがみ付いてきたのが分かる。
「おめでとうって言おう。思いきり冷やかしてやろうよ」
 ダグは優しすぎるのだ。言葉でわたしを叱ってくれない。目を合わせていられなくて、怒ったような顔でうつむくしかなかった。
「うん……」
 その優しさが一番きつい叱咤だと、気付いていないのだ。



「あたしね、知ってたのよ」
 キャットは静かに言った。その視線の先には窓がある。光は流れてくるが外の景色は見えない。
「ジェシーがあのホールで一番最初に会ったのは、本当はレヴィンだったのよね」
 返事は無い。ジェシーは息を止めたように黙り、キャットのすぐ傍に立ち尽くしている。少女の碧の瞳が少年を見つめた。
「そしてジェシーが好きなのもレヴィン。あたしとのことは母さんに頼まれたって……知ってるのよ」
 キャットの唇が、ふ、と小さく息を吐いた。それはため息のようであり、笑い声のようでもあった。
「あたしに馬の乗り方を教えてくれたのはあなただけれど、母さんはそんなこと知らなかったのよ。どうせあなたが会いに来るのを見て誤解しただけなんだから、断っちゃえばよかったのに。……冗談よ、断れないわよね、優しいあなたのことだもの」
 碧い瞳はもう一度窓を見た。窓の向こうの光に話しかける。
「レヴィナス・ディ・ヴァルスはあたしの親友よ」
 その光に魅せられるように目を閉じる。
「そしてあなたの親友。もう、どこまで行っても親友のままなのね」
 キャットが光に溶けていく。ジェシーの息の音がはっきり聞こえた時、キャットは目を開けた。一輪挿しを倒さぬよう気を付けて、さっきの本を手に取る。
「これ、何か分かる」
 赤茶の光沢のある布で装丁された本。いや、キャットは本ではないと言ったが。
「蝶姫の台本よ」
 蝶姫、とジェシーの低い声が繰り返す。キャットの美しいだけの笑みを浴びて、どこか怯えたような表情でもあった。舞った舞台、歌、全て覚えた台詞。うまく歩けないキャット、もう踊れないキャット。
「舞台に立つのよね」
 レヴィン、ダグ、あの頃のみんなと一緒に演じるのよね。声にまでいつの間にか笑みが含まれている。それは確かに嬉しくてたまらないという声だ。恨みや羨望などどこにも見当たらない。
「あたしは客席にいるわ、ずうっと。座席でみんなを見てるの……」
 かすれるほどに声が小さくなって、キャットは布団をはねのけた。長いスカートの中でゆるやかに膝を折っている。
「キャット、ちゃんと着てなきゃ」
「見て」
 すっかり色の抜けてしまった手がスカートをめくった。露わになる脚にジェシーは慌てて目を背けるが、すぐに目を戻した。信じられないといった表情で左膝を見つめる。そこにあったのは真っ赤に腫れた無数の傷痕だった。なまじ他の部分が白いだけにひどく目立つ。
「驚いた?」
 彼女の声は先程から何も変わっていない。表情は笑顔のまま、声も優しく、ひどく耳触りが良い。
「あたしがつけたの」
「どうして!」
「これはあたしの足なの。歩くための、踊るための、なのにほとんど動かないのよ」
 左手を見せる。逆光でも輝くほど白い手の先は、爪が伸びている。美しく伸びた五本の指を、傷だらけの足に突き刺す。顔を歪めたのはジェシーの方だ。
「全然痛くないの」
 そのまま指を移動する。その跡は白く、少しして花びらの開くような赤に変わり、ゆっくりと血がにじむ。
「キャット……」
「心配なんかいらないわ。あたし、全然苦しくないんだもの」
 そうじゃなくて、そう言いかけたところで扉から小さく音がした。固いもので削るような音だ。
「フォニーだわ。開けてやって」
 扉を開けると、長い白の毛に茶色を含んだ猫が入ってきた。足元をくすぐるように歩いてキャットのところへ辿り着き、シーツをよじ登ろうともがいている。キャットはベッドから体をのり出してそれを抱え上げた。キャットの指に毛並みを整えられて、猫は目をつむる。
「ジェシー、猫は好きだったかしら」
「うん……」
「よかった、フォニーを可愛がってね」
 一度言いそびれた言葉はあてもなく彷徨う。柔らかな日差しの降り注ぐ部屋で、少年はゆっくりと目を閉じた。





 ホールが完成した。第一公演は「蝶姫」という、街に伝わる話を元にした短い劇だ。
 わたしの演じるのは蝶姫、森の主だ。ジェシーはフェーテル、蝶姫を森の外へ連れ出そうとする者。そしてダグはラングザーム、蝶姫を森の中にとどめようとする太陽の精霊。
 客席は、この日を待ち望んでいた街の人々で埋まった。その中にキャットもいた。
 昔、このホールがまだわたし達の遊び場だった頃、蝶姫はキャットの役だった。わたしはリザという街娘だった。でもキャットがここに来るまで、わたしは蝶姫だった。そして今、成長した私はこうしてここにいる。
 ライトが灯った。少しずつ明るくなり舞台に立っている私を照らす。息を吸った。
「何を求むと言うだろう、何が足りぬとも思われぬ」
 聞きなれた声が響き渡る。それはわたしの声であり、そのまま蝶姫の声となって客席の闇の方へ消えていく。それを切っ掛けとして劇が始まった。また舞台が暗転し、すぐに明るくなる。
 わたしは上手に立っている。そこは森で、昼の間だけ傍にラングザームがいる。下手よりフェーテルが出てくる。彼は偶然にも蝶姫を見つけ、外へと誘う。
「もし、そこの蝶姫や、そこで何をか思われる」
 蝶姫は答えず、替わりに答えるのがラングザームだ。
「其よりこちらへ踏み入るな、蝶姫の住む古森ぞ。街へ戻れ街の者」
 フェーテルは街へ帰るが、蝶姫の魅力にまた森へ入る。やはり追い払われた彼は親友のリザに相談する。リザは、太陽の精霊であるラングザームは夜にはいないと教える。
 その次、夜の森にフェーテルが現れる。ラングザームがいないので、渋々にも蝶姫がその応対をする。
「語り継がせよ、私めが貴方を永遠に歌わん」
「我は元よりここに生まれ、ここを生みて悠久の時を紡ぐ者。其方などには語らせぬ」
 最初は冷たくあしらっていた蝶姫だが、幾度もの誘いに心が動く。そしてある夜、リザが森に入る。
「ああそこにいる蝶姫よ、月に輝く清らかさ、星を散りばむ美しさ。しかし貴方に何がある」
「そこな娘よ待ちなさい。我は全てを持っている、何が足りぬと申すのか」
「貴方には舞う場所もない。それを見、褒める者もない。なんと悲しい蝶姫よ! 美しくとも誰も見ぬ」
 リザは蝶姫の前で優雅に踊り、逃げるように森を出る。昼になるとラングザームがやってくるが、彼は蝶姫の変化に気付いて忠告をする。
「惑わされるな蝶姫よ、貴方と彼らは違う者。彼らの世界の悲しみを、貴方が悲しむことはない」
 蝶姫はそれに言葉を続ける――
「貴方は森の主であり、僕の心の主である」
 言おうとした言葉が喉で止まった。ラングザームを……ダグを見る。こんな台詞は無かった。
「ここにおられよ蝶姫よ、僕は貴方を恋うて待つ」
 ダグの目は真剣で、まるでラングザームが乗り移っているのではないかと思わせた。真に蝶姫を想い、しかしそれを一度も言葉にしなかったラングザームの心を代弁しているようだった。
「全ては僕が与えよう、ここにおられよ蝶姫よ」
 ダグが口を閉じる。わたしの台詞を待っているのだ。
「我を信じよ精霊よ。我こそ森を守る者……」
 舞台は暗転する。ダグが上手に入るのを見つめ、頭を振って次の位置に立った。また、スポットがわたしを照らす。下手にはフェーテルがいる。
「暗き中でもよいのです、光を浴びて輝く者よ、我らと共に歌わなん、舞を見せなんその羽根で」
 フェーテルは歌うように言い、森を出る。蝶姫はラングザームの忠告を聞かず、森を出てフェーテルの後を追ってしまう。
 一晩の酔い、酒場での舞い。皆が褒めてくれる。森にはラングザームしかいなかったが、ここには多くの者がいる。蝶姫は酔う。大いに、街の華やかさに酔う。心の中の少女を満たしてやる。
 夜明け方に蝶姫は森へ帰るが、その帰路で背中に矢を受ける。酒場にいた猟師だった。森が蝶姫を守り、猟師は逃げ出す。しかし蝶姫が息絶えると森も息絶える――
 朝。ラングザームがやってくる。
「愛しき人よ、蝶姫よ。街へ出たのか蝶姫よ。あれほど行くなと申したに、やはり貴方は行ったのか。そして、哀れ、このように」
 ラングザームは蝶姫にすがって泣く。背中に心地よい重みが加わる。
「貴方は死に逝くのみ姿、森も死に逝くのみ姿。そして僕も死を待つ身。だが蝶姫よ、貴方の魔術か、それでも貴方は美しい。息さえ知らぬ貴方だが、僕は御跡を行きましょう」
 背中が暖かかった。胸が苦しくなる。それは押さえつけられているという理由だけではなかった。
 夜が来て、ラングザームは月の精霊に滅ぼされる。蝶姫の最期を知らぬフェーテルは、また蝶姫を誘いに来る。尋ね人はもういないとも知らず、毎日毎日誘いに来る。やがて森は死を迎え、フェーテルも、蝶姫のいた場所で倒れる。
 ――暗転。

 真っ暗だ。舞台も客席も、光一つなく何も見えない。
 すぐ側にジェシーの影が倒れている。それよりもずっと近く、ダグの静かな息が聞こえる。私の息の音と合わさって、自分の呼吸が分からなくなる。
 キャットはどの席にいるのだろう、真っ暗で静かだ。拍手が渦を巻いて、それでも静かだ。ホールがわたし達を包んでいる。わたし達は音と、闇と、そしてホールに包まれている。
「ダグ」
 小さくつぶやく。他の誰にも聞こえないよう、私だけの言葉を。
「我は死せども我は生く。だから其方も生きたもれ……」
 ――それは、永遠と思われた。





     アトガタリ